*言峰のお母さんは死んでいる設定。




何かが崩れる大きな音が遠くで鳴り響く。普段から物音のしない聖堂には遠くともその音はよく聞こえ、璃正は慌ててその音のした方へ駆けていった。
「綺礼!!」
果たしてそこには、璃正の一人息子が散乱した本の中で申し訳なさげに佇んでいた。 「どこかぶつけたりしなかったか?」
「…平気です」
床に散乱した本を本棚に戻しながら下にある頭を撫でる。癖のある黒髪は子ども特有の柔らかさで、撫でられた綺礼はくすぐったげに首を竦めた。
「お父さん…」
「なんだ?」
「……ごめんなさい」
俯いた顔は見ることができない。璃正はその頭をもう一度撫でた。
「次からは気をつけなさい。それと、今度からはできれば周りの大人に頼むように」
素直にこくりと頷く頭に苦笑が漏れる。遅くになってようやく授かった息子は滅多にわがままを言うこともなく、悪さをすることもない手の掛からない子どもだった。
それ故に、稀にこうした面を見ると安心する。この子もまだまだ子どもだと。
「何を取ろうとしたんだ?」
散乱した本を全て納め、胸に抱いた本をのぞき込めばそれは思っていたよりも分厚い。
「辞書か…?」
「読みたい本があったから」
年 の割に早熟なのは片親ゆえに苦労をかけているせいなのだろう。よく家の手伝いをして璃正を助けようとする姿は、素直に嬉しいものがあった。だが周りの子ど もが外で駆け回っている時に綺礼は礼拝堂で、もしくは自室で聖書を読んでいる。敬虔な子どもだと周りが感心するなか、親である璃正だけは不安でたまらな かった。
綺礼は大人びてはいてもまだまだ子どもだ。だからこそ、無理をしているのではないか。自分は知らぬうちに、この子に行為を強いているのではないか。
母 親が居ない分、苦労はかけているのだろう。こうして巡礼に付いてきているために友達もできないのかもしれない。綺礼が望むならば人を雇って残ることも出来 ると、以前言ったことがあるが共に行きたいと断られた。それが本心からかどうかは分からない。感情の起伏が乏しい子だ。それ故に時折なにを考えているのか 分からないことがあった。
「綺礼」
少し厳しい口調で呼びかければ不思議そうな瞳が覗く。
「外で遊ぶのだって大切なことだぞ」
そう諭すように言えば困ったように俯く。そうして小さな声で「…でも」と言葉を紡いだ。
「体なら、鍛えてます」
聖地への巡礼は厳しい旅になることが多い。その旅に文句一つ言わず着いていく綺礼は、確かに他の子どもよりも体力も気力もあるのだろう。そうしたところが、璃正にとっては誇らしくもあり、また不安でもあった。
子どもの遊びは体力を養うためだけのものではない。そんな風にしか考えられない綺礼が危うく思えた。
「それに僕…」
長く思っていた不安が形になってしまったのだと圧し黙った璃正に、綺礼は控えめに、けれどはっきりと視線を向けた。
「早く、…父上のようになりたいんです」
笑うことの少ない子だった。大声を出して笑うことは更になく、少なくとも璃正の記憶にはそんな声は一つも入っていなかった。
その綺礼が微笑んでいた。はにかむようにも見えるその笑顔に璃正の中にあった不安は一瞬にして氷解した。
自分のようになりたい。その言葉を喜ばない親が居るだろうか。
思わず抱きしめそうになった腕を止め、そっとその頭を撫でる。感情的に褒めるのはよくない。母親が居ない分、自分がしっかりと教育をしなければならないのだから。
「では…、しっかりと頑張りなさい」
それでも頭を撫でるその掌には溢れんばかりの喜びが込められていた。





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辛くても、まだ可能性を見いだせていた時期。
そして擦れていなかった時期。
この話には璃正さんのフィルターが多分にかかっています(笑)
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