士言。




坂の上から一台の車が降りてきた。すぐ横を通り過ぎるその車をなんとなしに目で追う。この坂の上にあるのは、一軒の教会。そこに車が来るなんて、珍しいともあるものだと士郎は視線を車から坂の上へと移した。
登 りきった丘の上にある教会は閑散としている。これでも日曜のミサなどには結構な人が集まるらしいが、こんな午前と午後の間の中途半端な時間では誰も訪れな いらしい。来るのは、俺のような暇人だけだろうと半ば自嘲気味に考えた。別に、士郎とて暇を持て余しているわけではないが。きちんと帰りには商店街に寄っ て昼飯の買出しをする算段もつけてあるのだ。
いい訳じみたその考えに頷きながら、教会の扉に手を掛ける。軋む音を立てて開いた扉の奥には、いつも通り無駄に人を威圧する神父が………。
…………立っていなかった。
「あ……れ?」
代わりに、日の差し込む聖堂の中にはオルガンの音が響いている。だがその音も、士郎が思わず零した声に呼応するように止まった。
「誰かと思えば…貴様か衛宮士郎」
そう言って聖堂の奥から、この教会の主がようやく姿を現す。士郎はその顔を見てから、今まで鳴っていたと思われる奥のオルガンに目を向けた。勿論そこには誰の姿もない。
この聖堂の中には、士郎と言峰以外の誰の姿もありはしない。
「もしかして、今オルガンを弾いてたのってあんたか?」
「私でないのならば誰だというのだ?貴様にはあの年代物のオルガンに自動演奏機能が付いているように見えるのか?ならば一度眼科に行ってきっちりと検査を受けてくることを勧めよう」
「一々煩いな。………でも、やっぱりあんたなんだ」
間の抜けた質問に、小馬鹿にしたような笑みを浮かべる言峰の表情さえ気にならないほどに感心してしまう。呆けたように目を瞬かせている士郎に、後ろでに手を組んだまま言峰は僅かに首を傾げた。
「余程、私がオルガンを弾くというのが意外だったようだな」
「意外っていうか、似合わない。楽器とか縁遠そうじゃないか」
完全なイメージではあるが。楽器などという繊細そうなものとは、掛け離れているように思えてならない。
そんなことを思えば、言峰はまた士郎を見下ろしながら笑った。
「神 父とオルガンはセットのようなものだ。似合う似合わないといったものでもあるまい。大体、この教会には私しか居ないというのに、私が弾かぬというのならば 一体なんの為にこのオルガンはここに置いてあると思っているんだ?ただ空間を演出するための飾りで、中はがらんどうだとでも思ったか?」
無知をなじるような物言いに思わず眉間に皺が寄る。相変わらず、細かく人を突いては傷を付けたがる。
士郎は不機嫌そうに顔を背け、視線だけ向けながら抗議した。
「そうは言っても、あんた今までオルガンなんて弾いたことなかったじゃないか」
この教会には何度か、聖杯戦争の用事以外でも訪れたことがあったが、言峰がオルガンを弾いているところなど見たこともない。正確に言うならば、神父らしい言峰など見たことがなかった。
「基本的にミサ以外では弾くことがないからな」
「?…、じゃあ何で今は弾いてたんだよ?」
「ちょうど今さっき調律が終わったばかりなのでな。調子を視ていたところにお前が来ただけだ」
ああ、と、その言葉に行きに見た車が思い出される。珍しく教会から下りてきたあの車は、どうやらオルガンの調律に来ていた業者だったらしい。
「…………オルガンの調子視るのって、もう終わったのか?」
色々と疑問が解けてくると今度は好奇心がひょっこりと顔を出す。似合わないとは言ったが、実際に言峰がオルガンを弾くところというのは興味がそそられる。むしろ、似合わないからこそ興味がそそられると言ってもいいが。
そんな、僅かに期待の篭った眼差しを受け言峰は陰鬱に唇を歪め笑った。
「終わってはいないが、さして急ぐものでもない。別に今直ぐ視る必要性はないな」
「……偶にはささやかな願いぐらい叶えたらどうだこのエセ神父」
睨みつける士郎の視線にクックッと笑いながら、言峰は「まあいいだろう」と背を向けオルガンへと歩き出す。人の不幸が大好きな彼にしては珍しい譲歩に、思わず我が目を疑う。だが、オルガンの蓋を開ける音で現実に引き戻され、慌てて近くの椅子に腰を下ろした。
「…さて、初めに言っておくが讃美歌以外のレパートリーはないし、お前の要望を聞く気もないぞ」
「別にいいよ。なんだって」
言峰が、弾くのなら。
オ ルガン特有の中に篭った重厚な音が聖堂に響く。重なり、響き、一分の隙もなく流れるように動く言峰の指に魅入った。ほの明るい聖堂の中でただオルガンを弾 く姿は、まるで本当の神父のようだと思い、士郎は自分のその考えに笑った。性格はどうあれ、本当に神父ではあるのだから。
ゆったりと、揺蕩うように穏やかに流れる音。音は昇り、高い天井でぶつかり合いながら反響しあい空間を満たす。
低く体の中に響くような、作られた荘厳な曲の調べ。
やがて音は緩やかに伸び、小さくなって終局を迎える。士郎は感心したように溜息をついて笑った。
「凄いな。アンタがこんなにオルガンが上手いなんて思わなかった」
その感想に、言峰は僅かに眉を顰めオルガンの蓋を閉じる。
「……そうでも、ない。私の腕前は三流もいいところだろう」
「なんでさ?十分上手いじゃないか」
さしてピアノだのオルガンだのを聴くほうではないし、家にクラシックのCDなど一枚もないがそれでもあの演奏が下手だとは思えない。
卑下する理由が分からないと、不思議そうに首を傾げる士郎に言峰は珍しく自嘲気味に微笑んだ。
「技巧だけならばな。だが、音楽に求められるものは技術だけではない。それが賛美歌ならば、尚更だろう」
机に置かれた使い古された聖書に手を伸ばす。聖書と、十字架と、確かに言峰は神父であるのに。
「私には、そこに籠めるべき”祈り”がありはしない」
どこまでも、神父たりえることが出来なかった。



歩く。明確な場所を目指して。何かを振り切るように。
何度も何度も繰り返しているように感じる4日間。当たり前に居る英霊達。過ぎてしまった日々が帰ってきたような、幸せで、何故か少し哀しい世界。
この、居なくなってしまった人達が居る世界で、ただ一人だけ締め出されてしまった人間。

――ええ、そうです。

どこかで見たことのある金髪の少年が目の前に立ち言葉を紡ぐ。

――お兄さんも知っている通り、コトミネは…。

無邪気な赤い瞳が笑いながら、それでも少し哀れみのようなものを含んで細められる。

――死んでいる。これは、確実です。

その哀れみは誰に向けられたものなのか。10年も前に既に死んでいた亡霊にか、その亡霊を求めた愚か者にか。新都の町を通り過ぎ住宅街へと続く道を進みながら、その瞳を振り払った。
この道は、あの場所へと続く。ゆるい坂道はまるで死地へと向う道のように重い。行ってどうするのか。確かめて、それを確かめて、いったいどうしようと云うのか。
足取りは重い。上に向うほど空は曇っていって、どんよりと気分まで暗くさせる。温かな空気までもがどこか空寒く感じた。
誰からも祝福を受けることのない彼の居た場所は、いつだって冷たい。丘の上の教会はひっそりと静まり返っていた。続く扉すら重く、何もかも拒絶するように。それでも、その扉を開いた。


聖堂は、祈りにも似たオルガンに満たされていた。


教会に男は居ない。居るのは祈りへと昇華されたオルガンを弾く創痍の聖女。
色のない銀髪を揺らし、細く包帯の巻かれた指を繰りながら、彼女は乱入者に気を留めることもなく賛美歌を奏でる。教会を満たすのは、そんな、どこか空寒い神聖さすら感じさせそうな光景だけだった。
オルガンが聖堂に響く。荘厳なパイプオルガンを幻視させるその”祈り”は、カサカサと自分の奥底を掻き乱し逆立たせる。技巧の上手さよりもその想いが、中に響いて聞いていられなかった。
ただ無心の祈りへと昇華された音楽。全てを受け入れた聖女の音。
ああ、これが。これが彼の言っていた音なのだろうか。かつて同じ教会に響いたオルガンの音。
ぐらりと視界が揺れる。座り込んだ長椅子は同じように軋んだ。同じ時間、同じ場所、けれどそこに男は居ない。彼の音はもう響かない。なにもかも、もう手遅れなほど失われていて…―。
「…貴方は何を、悔いているのかしら?」
気がつけば目の前に銀髪の少女が立っていた。その細く小柄な身体からは消毒液の匂いが香る。くすんだ金色の瞳は何も映さぬ闇に似ていて、その面影はなぜか、かつてここに居た男を想起させた。
「どれほど悔いても、失われたものが戻ることはないわ」
哀れみもなく、ただ事実だけを述べるように言葉は綴られる。深く深く刺さるその言葉も、なにもかも。
少女はあまりにも男に似てい て。
「………俺…は」
もうここは、あの男の場所ではないのだと。あの男はもうどこにもいないのだと。
「あいつが、…好きだったんだ」
呟いた言葉が届くこともなく、遅すぎた想いはがらんどうの聖堂に虚しく響いた。



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神父ならばオルガンぐらい弾けるだろう。と思ってたらホロゥで見事教会にオルガンがあることが発覚。
やったー!神父がオルガン弾いてそれを士郎がほのぼのと聞いているような暖色系の話が書けるかもしれない!!
と、思って書き始めました  よ。
毎度毎度、書き始めに想像していたのと違う結末になっていく…。
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